春の海で遊ぶ。
過日の釣行。
久しぶりの休日を洋上で過ごす。
生憎、今年の初魚を琵琶湖で獲ること叶わず、
予定通り?海での釣果が先を越す・・・・・
私は、基本的に岸からの釣が好きだ。
魚を求め歩き、足で稼ぎ、地に足突っ張って、獲る。
時には歩く足を止め、様々なモノに目を配り、季節や時間の流れを愉しんだり。
だからと言って、船やボートでの釣りが嫌いなわけでなく、
むしろ、そんな釣りも好きではある。
のんびりと、波に揺られながらの釣りも一興。
岸でも、船・ボートでも、魚を探しながらの釣りは愉しく、
狙い通りのポイントで釣る事が叶えば、やはり 「モロタ!」 となる。
今回は、所謂ジギング船での釣行。
長年に渡る経験から、その海域を知り尽くした、
船長のサポートを全面に受けながらの青物狙い。
言わば、ポイントやタイミングはある意味船長任せとなり、
前述の釣りとは少々意を異にする。
そんな釣りながら、これはこれでまた愉しく、
いやいや、とにかく釣りは広く、深く、愉しい。
そんなジギング船による釣り。
大名釣りの様相さながら、いとも簡単か と言えばそうではなく、
そこはやはり釣り。もちろん、釣れる時もあれば釣れない時も。
覗いた操舵室の魚探では、水中は魚影で真っ赤に染まっていても、
懸命にジグを操ったところで、一切魚が口を使わないこともしばしば。
(もちろん釣腕云々のことはあるのだけれど。)
またその逆然り、どんなジグをを落しても釣れてしまう事もあったりと。
いやいや、やはり、とにかく釣りは難しく、愉しい。
普段、私が琵琶湖で興じているのは、プラグによる釣り。
もちろん、季節や時間、状況により異なるが、
基本的に狙うのは水面、若しくは表層で、
様々な状況からの判断によるイメージを投影したルアー、動きが、目で見て取れ、
それが上手く噛みあい、水面が割れるあの一瞬が堪らなくアツい。
一方、海で興じているジギング。
ジグと呼ばれる、100~150gの金属の塊を
水深50~100mへ落し、そこからシャクリ上げ、様々に操り、魚に喰わす。
もちろん、水中の状況やルアーの動きを目で見ることはできない。
自身のイメージとルアーの動きが、ダイレクトに繋がる表層の釣りとは違い、
水中のジグの動きはあくまでイメージ、洋上の自身の動きだけが頼りの釣り。
実は、この部分に随分と疑問を感じながらこれまでやってきた。
自分の動きと、水中のジグの動きが頭の中で上手く噛みあわない。
イメージ通りに釣れたところで、
風向きや潮向き、地形や船立て云々の状況下、水深数十メートルの水中で、
自分の操るジグは、イメージの通り、本当に踊っているのか・・・・・?
ブラックを求め、底付近をワームで狙う釣りや、アオリイカを狙うエギングでは、
水深もさほどなく、ルアーの動きも把握でき、
イメージとルアーの動きに自分なりの繋がりは見出せるのだが、
この、ジギングにおいては少し半信半疑な想いもあったのも事実。
そんな、ある意味「見える釣り」の対極にある、「見えない釣り」。
そんなジギングも、数少ないながら、
釣行を重ねる毎に、少しずつではあるけれど、
自身のイメージと動作、釣果が一本の線に繋がりつつはあり、
今回の釣行、最後のひと流しで、
ようやく、自身 初となる、
鰤をこの手に。
この日は朝のひと流し目から具合がよろしく、ハマチを釣り上げ意気揚々。
風は少し冷たいながらも、柔らかで麗らかな春の陽光の下、
久しぶりの魚の引きを愉しみ、適度なペースで釣果を延ばす。
少し釣ったところで、釣り分けなんかも試みて、上手い具合にメジロも手にし、
ハマチ→メジロと、出世(魚)街道まっしぐらの勢い。
しかしながら、思うようには行かないのが釣り。一旦ここで釣り止まり・・・・・
釣れない時間、試行錯誤の果てようやくの鰤一本。
今回、この一本から学んだことも多く、
更に釣り上げる事が出来そうな予感・状況下ではあったのだけど、
既に食卓を賑やかすには十分な釣果も得、
この一本の意味を大切にしたい釣り人は、(否、体力も限界であったのも事実・・・・)
答え合わせをする事無く竿を納めた。
上から、ハマチ・メジロ・ブリ。
見えない水中、魚の状況を見えるカタチにする為に、
幾年の歳月をかけ、技術や道具の進歩を経てきた釣り遊び。
見える釣りも、見えない釣りも、
そのアプローチは違う部分もあるのだけれど、
釣りという、イメージでの遊びには違いはなく、
魚種やその大小、多数を問わず、
自身のイメージと手段、結果が一本の線で繋がった瞬間、
私は至福の感動を覚えるのである。